(グアム時間は、日本よりも1時間、世界標準時より10時間進んでいます)。 |
|
||||
|
感 謝 |
|||||
|
このコーナーは、聖書の一節を取り上げて、キリスト教に関する一般的な質問にお答えしています。 |
|||||
|
空(くう)の空。 私たちが、もののあわれやはかなさに特別な思いを寄せるのはなぜでしょうか。日本人の心の底には、あの平家物語の「祇園精舎」のような無常感が流れているようです。 旧約聖書の「伝道者の書」も「この世の全ては移り変り、死で終る私たちの人生も結局みな空しい」と問題提起をしています。この伝道者は、人生の様々な空しさをさらに明らかにした上で「永遠に変わらない神様との出会いにこそ、唯一根本的な解決がある」と結んでいます。神様は、私たち一人ひとりに空(くう)では終らない人生を与えようと、今も語り掛けておられます。 |
|||||
|
ひとりの罪人(つみびと)が 聖書にはたびたび「悔い改め」ということばが登場します。一見「後悔」と混同しそうなこのことば、聖書ではとても大切なキーワードです。後悔が「以前の誤りをくよくよ悩み過去に縛られること」であるのに対し、悔い改めは「以前の誤りを忘れることなく自覚し、180度方向転換して未来に踏み出すこと」を意味します。聖書は「あなたの未来は、是非神様に向けるように!」と薦めています。「そのとき、天国では天使が大歓声をあげているんだよ」とイエス様は語られています。 |
|||||
|
自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、 したくない悪を行なっています。 (新約聖書 ローマ人への手紙 7章 19節) 小さい頃に見たアメリカのアニメに、心の中の天使と悪魔が戦って登場人物を悩み苦しませる、という場面がよくありました。それを今でもはっきり憶えているのは、私自身が同じ心を持っているからに他なりません。悲しいことに、気が付くと大抵の場合「悪い心」が勝っているのですが.......。 聖書は「人は、たとえ善(行)を願っても、それを行えない罪の状態(奴隷,性質,支配下)にある」と説明します。聖書の語る「罪」とは、単に「犯罪行為」だけでなく「罪の状態」を言うのですね。その「罪」からいつも守られるように「わたしに祈りなさい」と神様は語りかけておられます。 |
|||||
|
神は、むかし父祖たちに、 「創世記」とか「黙示録」ということばを、耳にしたことがおありですか。聖書は、「旧約」と「新約」の二つに分かれていますが、実はそれぞれが更に細かく分かれているんですね。旧約が39巻、新約が27巻の合計66巻から構成されています。そのため「聖書は一つの図書館のような書物だ」と言われることがよくあります。「創世記」は旧約の一番最初、「黙示録」は新約の最後の書物です。旧約には「律法(戒め)と預言書」が、新約には「イエス・キリストによる救い」が記されています。 |
|||||
|
失われた人を捜して、 救うために来たのです。 (新約聖書 ルカの福音書 19章 10節) 日本語の「助ける」は「て・すく(手ですくう)」が語源だそうですね。ちょうど金魚すくいのように、助けが必要な人をそ〜っとすくって安全な場所に移すそんな行為を指すそうです。英語で「救い」を"salvation(サルベーション)"と言いますが、深い海底から沈没船を引揚げるあのサルベージ船の"salvage"もこの関連用語です。イエス・キリストは、私たちがどんなに難しく困難な状況にあっても、そこから引揚げ助けてくださる「救い主だ」と証しされています。キリストご自身も「わたしは、今のあなたを救うために来たんだよ」と私たちに語りかけておられます。 |
|||||
|
私のすわるのも、立つのも知っておられ、 私の思いを遠くから読み取られます。 (旧約聖書 詩篇 139篇 2節) 「この醜い心の中が人に知れたら恐い」とよく思春期に思いました。いつの間にかそんな感覚は麻痺していましたが.......。 聖書は「神様こそが全知全能でこの世界の創造主だ」と証ししています。もし、この方に裁かれるとしたら、それこそ恐ろしいことですね。でも、この詩篇の作者は神様に感謝を捧げています。なぜでしょうか。それは「神様が、弱く醜いこの自分をも愛し正しい方向に導いてくださる唯一の方だ」と彼がはっきり理解しているからです。私たちも、彼のように「愛されている!」という自覚できたら素晴らしいですね。 |
|||||
|
するとただちに、 新約聖書にひとりのエリート宗教家が登場します。彼は「イエス・キリストを神とする人々」の殺害に意を燃やしていました。ところがその迫害の途上、彼は天からの声とまばゆい光を受けて、盲目になってしまいます。 数日後、目からうろこのような物が落ちて見えるようになった時、それは彼が聖書の真理「神(キリスト)が人(自分)を愛し、身代わりに十字架に掛かられた」に目覚めた瞬間でした。彼の名前はサウロ。後にパウロ(英名ポール)と改名し、福音(Gospel)の宣教に生涯を捧げました。新約聖書の27巻のうち、約半分が彼の手によるものです。 |
|||||